* Story *
そこにあるもの
いつもと同じところで、日が傾くのをじっと見ていた。
「お?まだお前そんなところにいたのか」
少しばかり頓狂な声が、傾いたビルの屋上で、そこから見られる景色を眺めていた背中に投げかけられる。
「いいじゃん、別に悪いモンでもないだろ?兄貴」
振り向かずとも、それが誰のものかはわかった。昔から、聞きなれた声。感じなれた気配。
「まぁそうだけど。イルダ、お前はあまりにも無防備すぎるよ」
隣に座った青年はまだどことなくあどけなさの残る観はするが、その穏やかな挙動からは年齢以上のものを感じさせた。それは自分にとっても同じことで、自分はこの兄を慕っていた。
「俺はいいんだよ。だってケイブラじゃないし。兄貴の方こそ、うっかり狩られちまうかもしれないじゃん。俺はそっちの方が心配だ」
「…いくらなんでもそこまで間抜けじゃないさ。腐ってもラサル・ケイブラだ」
苦笑して、軽く小突く。そして大きく一つ息を吸い込むと、兄――フェイダーは先程まで自分の見ていた夕焼けに視線を移した。
優しい兄が、街が、国が崩壊してからつけるようになった眼帯。それは左の金色の瞳を隠すものだった。かつて尊ばれてきたものたちは、今、人々の憎悪の対象となっていた。人買いに売られて奴隷同然の身となるか、それ以外は彼のように武装集団の抗争の切り札となる『戦力』としてどうにか生きていけた。
「壊れたんだな。この街は。つくづく、思い知らされるよ」
秀麗な横顔に翳りがさした。五年前から、見るようになった、表情。
「まだ、親父たちが死んだって決まっちゃいない。だって死体は見つかってないんだ。目撃情報もない」
「目撃者も死んだかもしれない」
兄のこの表情がいやで、だからイルダは常に彼の懸念を打ち消す方向に言をとっていた。
「…五年。五年だ。俺達は、この都市で、一番目立つ集団にいる。外部にも知られている。両親が、もし俺達を探しているなら、なにかしら連絡はあるはずだよ」
「兄貴は、どうしてそう割り切れる?俺はそんなに諦められない」
「俺には他に、やることがある。やらなくちゃならないことがあるんだよ。だからお前は俺の分までその思いを持ち続けていてくれ」
そう頭を撫でてくれた兄の瞳に何か底知れぬものがある気がして、イルダはその言葉に頷くことも、何も出来なかった。
それが、五年前。
今日も、変わらず、日が傾いていくのをじっと見ていた。
「…イルダ」
自分よりも幼い声が、投げかけられる。声変わりしたのか定かでない、声。
「なんかあったか?」
振り返ると、そこには少年が立っていた。一見女とも取れる、少年。青い髪が印象的な。
「ガランが呼んでるよ。明日の戦いについて、青年部と少年部で打ち合わせだってさ」
「あ?しょうがねえなぁー、もちっとでいい頃合だってのにさー」
渋々腰を上げると、傍らに置いてあったサブマシンガンを手に少年――カースの脇を通り過ぎて、コンクリートが裂けて鉄骨が剥き出しになった穴へ降りていく。最上階が潰れてしまっているので、飛び降りるのは造作も無いことだ。
ガランは、彼が所属するグループ『ラサル・ラダス』の総統で、彼はその少年部のリーダーだった。
「もう一つ言うことがあった…フェイダーさん、また狙われたって」
カースが後ろからついてくる。彼の距離のおき方は知っているので振り返りざまにイルダはその両肩をつかんでいた。
「何だって!?」
「――青年部のリーダーが言ってたから間違いない。痛いから放して」
思いのほか力が入ってしまったことに気付き、軽く謝ると、イルダは踵を返して会議を行う部屋へと足を向けた。
「クソ…またかよ!?これで今月五度目だぜ…!」
その背中を眺めやり、カースは溜息をついた。
「イルダ。とりあえず、今は作戦に専念して」
「わーってる…!………チキショウ…」
(全然ダメじゃん)
心の中で呟くと、カースは壊れた天井を仰いだ。
扉が無いから、バタンと勢いよく扉を開けて――というわけにはいかないが、それなりの勢いでイルダは入室した。後に続いてカースも入る。
「兄貴!」
騒がしかった室内が、しん…となる。
「お前ねぇ…も少し静かに入れないのか?」
三十近くに見える男――ガラン――は、イルダのほうへちらりと目をやると、そのままフェイダーへ目を移しながら呆れて言った。
「イルダ。今は会議中だよ」
席を立つフェイダー。その元へ近寄ると、その右掌を覆うように巻かれた包帯が目に入る。イルダの表情が自然に険しくなった。それに気付いたフェイダーは、苦笑した。
「…ほかに怪我はないよ。それに、これだって自分でやってしまったようなものだから」
「もっと気をつけろよ!兄貴は『狙われて』るんだ!」
声を荒げる。しかし、そんなふうに言われているのに、自分はどこか落ち着いていた。
「そんなことはわかっているよ。だが今はそれについてどうこう話す時じゃない。さぁ、座るんだ」
「……」
「会議が続けられない」
「……わぁったよ」
ふてぶてしく答えると、イルダは空いている席――少年部リーダーの――に腰を下ろした。隣は、カースが座った。
やりとりを静観していたガランはにやりと笑って、それからひとつ咳をすると、とたんに真面目な顔つきへ変えた。
「さぁて、今回の相手だが――厄介なことに、サウスエリアのイムナジィのとこなんだな」
街の地図の南側を指差して、彼はそのまま続けた。
「あいつのところには『ラサル・ケイブラ』が一人いる。この街ではウチのフェイダーとあわせて二人しかいねぇから、お前らまだあんまりケイブラ相手の戦いは慣れてない。そこで、だ」
彼は戦いが繰り広げられるであろう場所の状況が書かれた新しい紙を広げると、ペンを取り出していくつかの場所を丸で囲んだ。
「ここと――ここと、こっちにそれぞれ分かれて待機してろ。北の退路を俺が塞ぐ。東は青年部の第一隊。西は――そうだな…カース、いけるか?」
「…あ…はい…いけます……」
声を掛けられて、カースは驚いたようだった。反射的に答えたものの、その後は俯いてしまう。その表情は、蒼白と形容するのが相応しく、イルダは見てみぬふりをした。
「そして陽動隊と本隊が主にそれぞれで動く。陽動は、イルダ。本隊は、フェイダーだ。ケイブラとあたるのはもちろん本隊。陽動はおびき寄せてくれればいい。その後は本隊へ合流して援護に回る」
ガランの、どうだ、文句あるまい。といっているのが見て取れた。イルダは頷く。
「…わかった」
「フェイダー、お前はとにかく相手のケイブラを叩け」
「了解」
頷いたことにより、伸ばしっぱなしにしている青灰色の髪が揺れた。
その後三十分ほど会議は続いて、そうして散会した。
場にいた者達はみな一人一人と席を立ち、部屋を出て行く。そうして残ったのはイルダとフェイダーの二人だった。
「……明日は…気を締めてかからないとな…」
うっすらと血の滲む包帯の上を眺めやってから、フェイダーが呟いた。
ケイブラを相手に、戦う。
それがどんなものなのか実際に知っているのは周りの者ではなく、彼自身意外に他ならない。
ずっと一緒に守りあってきた弟でさえ、きっとわからないだろう。
十年間の間に幾人ものケイブラと、個人的に、また組織の対立相手としてその特殊能力という刃を交えてきたが、その戦いというものはそこらの喧嘩でもなく、重火器や武器を使う戦いとも似つかない奇妙で非現実的なものだった。
終わった後に残るのは勝利を得た喜びでもなんでもなく、ただ微かに自分の内に広がる違和感と、心配そうな顔をした弟――片目の色が違っているという点を除けば自分と同じ特徴を備えた、普通の人間である彼――が、自分を見つめるその瞳の力強さ。
「兄貴?」
うらやましく思う。
卑屈になることもなく、自分に素直で、奔放で、強い意思を持っている。
「陽動と、援護。頼んだよ」
「わかってる。」
「…それじゃ」
なぜか、これ以上同じ空間にいることが苦痛に感じられて、フェイダーは踵を返した。
誰よりも、強い意思。それなのに、守ってやらないと、頼りない。
肉親であるたった一人の。
「……」
苦笑をたたえて、足音をいつになくたてて。
隠してはいるがどこか不安定な兄の背中はいつもより細く。
消えていった先の廊下から視点を移すことなく、イルダはしばらくの時を沈黙とともに過ごした。
――カツン。
唐突に、靴音が響いてそちらを向くと、カースが立っていた。
先程からの青ざめた表情はそのままに、こちらを見てくる。
「なんだよ」
「…あ、あの…さ…明日…」
腕をぎゅっと握り締めて、それこそ血でも出るほど強い力ではないかと思うぐらいにして、声を絞り出す。
「お前、まだこだわってんのかよ。それでよく続けられるな」
「…こだわってって…そんな言い方ないだろ!」
悪気は、ない。だが、今の自分はどうみても苛立っていて、どうきてもつっけんどんに返してしまいたくなる。言ってしまって、イルダは舌打ちした。
しまった、油を注いでしまったと。
しかしこれも性なのだ。直せそうにも無い。
「僕が生きてくにはもうここしかないんだ!だからいるんだ…殺すためにいるんじゃない!」
「なら殺さなければいいじゃねぇか。ガランはお前を西へ配置した。お前が苦手なのを知ってるからな。俺らが奴らを打ちのめす。その残党狩りをすればいいだけじゃねえかよ」
今日も、また、これだ。
八つ当たりだ。
目の前で蒼白な顔して人を殺したくないと訴えかけるこの少年の方がよっぽど大人びている。そうは思わないか。
ああ、苛々する。
自分は、どうしてこんな。
「『狩る』なんて言うな!」
「生憎、俺はお前みたく倫理観やら博愛精神やらにあふれた『できた』人間じゃないんだよ!俺は陽動部隊だ。俺に相談したって変われる場所じゃねぇだろ。それと、お前がそれでもナンバー2であることは変わらないんだぜ?任務はやってのけろよ」
「……っ!」
罵倒されてカースは上気した顔を朱に染めて手を振り上げた。しかし、そのままくたっと力を失ったそれはもとのように彼の体の脇へと戻された。
「わかっ…た…よ…役割は、果たす…」
まるで泣き出すのではないかと錯覚させる声でうめくように呟いた後、彼は駆け出て行った。
そしてまた一人になって。
「…あー…やっちまったー…」
がくりと肩を落とす。
がしがしと頭を掻いて、どかりと椅子に体をうずめる。
何とはなしに耳のピアスに手をやって、弄る。微かな痛みは気にならない。
軟骨に空けた穴から血が出ていることに気付いたのは、それから6分も経った頃だった。
そして、日は明けた。
「よぉ。お前さんところはそれだけか?」
男の威勢のいい声が響いた。明らかにこちらを嘲る声。
廃ビルに囲まれた中の、開けた場所――おそらく、以前は公園か、なにかの広場だった筈だ――に対峙する二つの集団。一つは、イルダと彼の率いる50人ほどの少年部第一部隊。もう一つは、イムナジィ本人と、100ほどの部下。
イムナジィは、お世辞にもいい人相とはいえない。三十を過ぎるかどうかというぐらいの、男。がっしりとした大柄な体に、短く刈り上げた髪。ハイエナのような雰囲気がある。
『都市』一帯の中でも嫌われている集団の一つを統率する人物が自愛に満ち溢れた人格者だったら、それこそ笑ってしまうが。
「うっせ。てめぇらを叩くにはこれで十分だと言われてんだ」
真紅の瞳をギラつかせながら、イルダはそのしなやかな獣のような体にぴったりの戦闘スーツを身に纏い、数々の武器を身につけ、肩には銃ではなく長い鋼の棒を担いでいた。
集団同士の小競り合いは、銃は使用されなかった。本格的な潰し合いとなれば話は別だが、誰もが銃という瞬間的に死を与える殺人兵器を容易に手に出来て、それでいて殺戮への一線を超えないのは、救いといえば救いだった。
もっとも、その小競り合いにも死者が出るのは常だったが。
「ぬかせ…こっちにはラサル・ケイブラがいるんだ。お前ら見たところ全員フツーの人間じゃねぇか」
「ハハッ!じゃ、お前らみんな腑抜けってことだな」
イムナジィの言葉を、イルダは笑い声とともに返した。
「…大概にしておけこのクソガキが!」
それが、合図だった。前列にいたイムナジィの部下が、イルダめがけて突進してくる。各々接近戦用の武器を手に、訓練された動きで迫り来る。
「さっさと片付けてやる!」
ナイフを掲げた男が叫んだ。
「やってみろってんだ!」
イルダは背後の部隊へ振り返りもせずに指示を下すと、手早く鋼の棒を構えて目前まで迫ってきていた男へ棒を突き出した。革製のグローブを身に付けているため、滑って威力が減ることはない。
「っがぁっ!」
男が吹き飛ぶ。取り落としたナイフを、金属板仕込みのブーツの踵で踏んで破壊する。イルダはその後躊躇いもせずに真後ろへ肘を繰り出して、別の男の鼻をへし折った。顔を抑えてうろたえるその腹に蹴りを入れて、後ろにいた男と一緒に地へ転がせた。
息をつく間もない。すぐに、彼は棒を構え直した。
「ぅおおぉぉ!」
大仰な叫び声で飛び掛ってくる相手のトンファーを受け流すついでにまた別のナイフをはたきおとす。飛び上がったナイフを片手に取り、トンファーの男へ投げつける。それは肩口に突き刺さる。うめき声。
「邪魔だ!」
ナイフを失った男には棒を一振りして横殴りにしたあと、背中を蹴り飛ばして一段下の瓦礫へ落下させた。そこでは同じように部下達の混戦が繰り広げられている。
十分後には、イルダは三十人ほどを棒と体術で片付けていた。自分の周りには既に倒れた者がいるだけだ。しかし、また部下の争いは終わっていない。
「ち…消えやがった」
イムナジィはというと、記憶のある限りでは、開始後五分ほどで姿をくらませていた気がする。
軽く舌打ちする。
と、背後に何かを感じ取ってイルダは身を伏せた。
直後。
ビュンッ!
勢いよく射出されたボウガンの矢が、当てる標的を失って通り過ぎていった。
「…こりゃ、本格的になってきたってか?」
そう言うイルダに恐怖はなく、むしろこの状況を楽しんでいるようだ。続けて射出される矢を、感覚だけでよける。
流れ矢が、たまたま後ろにいた男――自分の部下ではない――に突き刺さる。
「オイ、味方を撃っちゃマジィんじゃねーのかよ…―――うわっ!」
吹き飛ばされて、イルダは壁へ打ちつけられた。
「いてーな…クソッ…」
矢は、もう飛んでこない。
変わりに彼の体を浮かせたのは何か。
そこへ、もう一度それはおきた。今度は身構えていたからわかる。
衝撃波のようなものが突き抜ける。瓦礫の一部が飛来してきたのを棒で叩き落すと、彼はそちらへ向き直った。
悟ったのだ。
相手のケイブラが来たと。
「お待ちかね真打ちの登場だな」
恐怖はひとかけらもなく、イルダは笑みを浮かべた。陽動の役割は十分だったのだ。
乱闘の現場から離れて立っている人物が、こちらを睨み据えてきている。爬虫類のような印象の、目の細い二十代くらいの男だ。両目は、言うまでもなく金。
傍らにイムナジィがいた。また出てきたらしい。
男が手を振りかざす。
(来る)
イルダは勘で横へ飛んでそれをかわすと、地に低く伏すように膝をついて腰につけておいた細い金属管――笛―-を取って口にはさんだ。
「ピィ――ッ」
高い音が響く。
それを聞きつけて、騒ぎの中心から百メートルは離れている瓦礫の向こう側で人影が現れた。フェイダーらの本隊だった。
相手の男もそれに気づいたらしく、イルダの方から注意をそちらへ向ける。
「あとは普通に喧嘩すればいいだけだな」
不可視のものへの警戒を解いて棒を手に取り直すと、彼は踵を返して乱闘の中へ駆け込んでいった。
「お前がケイブラか。どんな奴かと思ったが…片目とはな」
目を細めて男は言う。もともと細い目をさらに細めているので閉じているように見えるが、当人にはきちんと見えているらしい。その両目は、確かにフェイダーを捉えていた。
「まさか、その隠している方も赤目だったりしないだろうな?」
眼帯をしているので、そう思われても仕方のないことだろう。大して気にとめず、フェイダーは口の端を上げて返した。
「あんたの身をもって知るといいよ」
言い終わらぬうちに彼は後ろへ飛んだ。先程まで立っていた地面が抉れる。
(物質崩壊…いや、そんなに高度じゃあない…分子レベルまでは至っていない。単なる、破壊)
今度は横へ。
「逃げるのが能か?くだらない!」
男は何度も攻撃を仕掛ける。その都度、フェイダーはそれをかわした。
「そういうわけじゃ、ない」
ポツリと呟いて彼は眼帯を取った。普段は見えない金色の瞳が景色を映し出す。
男へ向けて、手を前に出した。息を吸い、吐き出す。
瞬間。
「――――うああぁぁぁっ!」
男の体が宙に舞った。何かに弾かれたかのように跳ね飛ばされて、そうして瓦礫の壁と衝突する。
「ただ、力を使うと疲れるから――省エネしてるだけだよ」
気を失うだけでは済まされないが、死なないだけましだろう。ケイブラ同士の争いは両者の間に力の差があると時に一方的な戦いになり、最悪の場合は死んでしまうことがある。グループ同士の争いではどんな状態でもいいから相手を戦闘不能にすることを目的にしている。仕方のないことといえばそうもいえるが、そんな中フェイダーは「甘い」部類の人間だった。
いまだに解明はなされていないケイブラの能力システム。どのような感覚でもってその力を引き出すのかは一人一人違うだろう。しかし、大抵のケイブラにいえるのは、力を行使し続けるには運動で言う体力、持久力にあたるものが必要だということ。
だからフェイダーはいつも相手を必要以上に追い詰めない理由を疲れるため、とまわりにはよく言っているが。
「…そう…疲れるんだよな…」
眩暈を覚えてフェイダーは眉間のあたりを指で抑えた。
一息ついて、眼帯をはめなおしたころには乱闘も収まり始めたようだった。
と、こちらへ男が一人歩いてきた。
「まだ派手に暴れて…元気がいいね若者は」
「ガランさんか。北は?退路がどうとか言っていたが」
「ああ…若い衆が気合入れてくれてるもんだから、ほとんどこっちへは流れてこなかった。お前のほうこそ、ケイブラは片付けたのか?」
ガランは皮肉気な態度でも嫌味さは感じられない。話もわかる男であり、それはやはり年相応のものだろう。同年代や、弟と話す時よりはるかに勉強になることが多々ある。フェイダーは彼と会話することを楽しみの一つとしていた。
「終わったことを知っていなきゃ近づいてはこない。あんたはそういう人だと俺は思うよ」
「――野暮な質問で悪かった」
「いえ」
「あのケイブラ、保護してやったほうがいいな。放っておくとイムナジィにひどくやりこめられるだろう」
「…ガランさん、最近俺に感化されてるだろう?」
「まぁ、な。俺も妻や仕事仲間…街をまるごと例のケイブラに消された時は憎みしか浮かばなかったが、人間どうやらこの年になっても成長するらしい」
がしがしと頭をかいて、ガランは苦笑した。
「前はケイブラと聞きゃあ全部殴りかかってたが、今は別さ…といっても、もちろん、あの男だけは許そうとなんざ思っちゃいない」
一瞬、その目に暗い色がさしたのは気のせいではないだろう。だが、フェイダーはそれをあえて気付かないようにした。
「知ってるか。あいつら、最近また姿を現したって話だ」
ガランは少し声を潜めてフェイダーに耳打ちした。
「なんだって…?」
「都市にはまだ入っちゃいないらしいが、周辺で姿を見たって人間が何人も出てきやがった。こりゃ近いうちに何かあるぜ」
言い終えて、ガランは離れていった。部下にいくつか指示を出す彼の背を、フェイダーは見てはいなかった。
「動き始めた…何を、するつもりなんだ…?」
かつて体制に反旗を翻し、ケイブラ狩りを起こさせた二人の男。ルジアダ朝壊滅後その消息を捉えたものはいなかったのだ。それが十年以上も過ぎて、何故今、再びその存在を明らかにしてきたのか。
疑問がぐるぐると回りだす。
ふと、視線を感じてフェイダーはその方向へ目をやった。
倒壊したビルの屋上に、人影があった。
「…?」
まだ小柄といえる。
不思議とそこへひかれて、フェイダーはそのビルの足元へ歩み寄った。見上げると、やはり、人がいる。地上からは高さにして十五メートルほどだろうか。
「君は…そこで何をしているんだ?」
逆光になっているので人物は陰でしか見えない。フェイダーは目を細めた。するとその人物は、軽い身のこなしで上から瓦礫の段をいくつか経由して降りてきて、彼の前に立った。
緑色の髪に、深い闇色の双眸の少年。
闇色、の。
はっとして、フェイダーは一歩後退した。
「君は…」
「はじめまして、フェイダー・ヴェイン」
彼はエダイ・ケイブラだ。
いったい何の用なのか。
フェイダーは訝しげに見返した。
「察しがいいね。僕はエダイだ。エダイ・ケイブラさ」
「俺が気になるのは、君が何故ここにいるのかということなんだけれど」
「ああ…それは、ケイブラ探しをしているんだ。君の事は知っていたから、君以外のやつをね…でも、。今日のは全然ダメだね。あんなあっけなくやられるなんてよほど低能力なんだなぁ」
口の端を吊り上げて、彼は先ほどのケイブラを嘲笑していた。それに不快感は否めないものの、フェイダーはそれをぐっとこらえた。
「何故、探しているんだ?」
「…それはね。頼まれたんだ」
「…誰に?」
「誰に、か……うーん。それはちょっと答えられないね。許可されてないから」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、彼は返した。フェイダーは質問を変えた。
「探しているといったね。探して、どうするつもりだったんだ?」
「使えるなら呼ぶんだ。逆なら別に知らない」
呼ぶ。どこに、なにをしに。
(何の目的で?)
「…目的?それは、まだ言えないね」
少年の言葉に、はっとする。
今。彼はこちらの心を読んだのではないか。ケイブラならば、ありうる。
「貴方はとても賢いね。僕の力はそういう方向に作用するんだ」
精神感応。
「ねぇ、今すぐとは言わないけれど。ちょっと考えておいてほしいんだ。この世界について。そして、僕らのやっていることが知りたかったら、また次に会った時にでも一緒に来てほしいな」
次。彼は、また来る。
偶然を求めるのではなく、必然の訪問をするというのか。
「……この世界に、ついて…?」
「貴方は、最初から招かれるに値する人物なんだよ。今日の報告で、僕に頼みごとをしたひとは貴方の協力をいっそう強く願うだろうね」
少年は、闇色の瞳でじっとこちらを観察していた。かすかな感情の揺らぎは、全て見抜かれているのだろう。
「じゃ、今日はこの辺で帰るよ」
唐突にそういうと、彼はこちらに背を向けて歩き出した。
「君の名前を聞いてないな」
足が止まった。振り返ったその表情は、どこか意外そうだった。
「エダイに名前を聞くの?変わってるなぁ……ま、いいや。僕はルーウェン。ルーウェン・ダリスという。覚えておいてくれると嬉しいね」
言い終えるか終えないかのうちに、彼は建物の影へと入っていった。すぅっと、消えていくかのようだった。
目を凝らして行く先を見ようとしたが、姿そのものが消えてしまっていた。
「…世界について、か…」
謎ばかりが残されたものだ。フェイダーは深く溜息をついた。
「崩壊させて悪くなったことっていえば、美味い酒が飲めなくなったってことか」
グラスに入れたウォッカを飲み干してから、男は少し不満げに呟いた。
その顔つきは、端整というよりは精悍な印象が強い。不精に伸ばされて背中の中ほどまである黒髪を、首の後ろで無造作に紐でくくっている。その瞳は、深く吸い込まれそうな、闇色。
「…国立図書館の蔵書が失われたことのほうがよほど嘆かわしいことだと思うがな」
広い部屋の反対側で読書をしていた男が、そっけなく返した。
黒髪の男とは違い、こちらは粗野さが欠片もない秀麗な面持ちだ。伸びた真っ白な髪をゆったりと背のあたりで紐でまとめている。その瞳は、どこか別の世界のような、金。
「けっ。そんなもんばっかり読むなんてどうかしてるぜ」
「価値観の相違は致し方ない。俺が酒に興味ないし、お前は書物に無関心だ」
「そりゃそうだ。逆だったら吐き気がする」
喉の奥で笑いながら、男は立ち上がった。ゆったりとした足取りで部屋のドアへ向かい、ノブに手を伸ばしてそれを開ける。
「ようやくお帰りか?坊や」
わざとおちょくるように、彼は目の前にいる少年を見おろした。
「…遅くはなかったと思うけど」
少年――ルーウェンは、開けようとしていたドアが突然開いたことに驚いていたが、その言葉で機嫌を悪くしたのか、ぶすっとして答えた。
「今日は例のラサルに会いにいったんだろ?どうだった?」
「どうもなにもない……そこどいてくれる?僕はリカルドに報告するんだから」
男は口の端を吊り上げて笑う。それに苛立ちを露に返してから、ルーウェンは本に栞を挟んでこちらを向いたリカルドの前まで行くと、先程とはうって変わって礼儀正しく一礼した。
「お帰り、ルーウェン」
「ただいま…早速報告するよ。フェイダー・ヴェインの潜在能力は桁外れだ。今日は雑魚相手で本気を見れなかったけれど、能力そのものの質が違う」
あまり表には出さないものの、声は弾んでいる。嬉しそうだ。
「…そうか」
満足げにリカルドは微笑んだ。
「それと、僕らの側に来る”資質”は十分あると思うよ」
「お前が言うなら間違いないな」
精神を分析できる能力は、信頼に値する。
「アディス。今度、奴を見に行こうと思うんだが」
ルーウェンを通した後、壁を背に立っていた男は、露骨に嫌な顔をした。
「ああん?俺は行かねぇぞ」
「…アディスレイ」
リカルドが自分の名を略さずに呼ぶとき、それは彼の真剣さを表すということを、アディス――アディスレイ・ヴォークは知っていた。
「何だよ」
「奴は、俺を凌ぐ可能性を持つ唯一のラサルだ」
「はぁ?」
何を言い出すのか。
アディスは、リカルドがラサル・ケイブラの中では過去最高の力を持つ人物だと考えていたし、実際これまでそうだった。
リカルド・イーサー。類稀なる存在。そう、かつて国境総本山で彼は言われていた。過去最強で最も恐るべき者とされた自分とは真逆の位置にいた。
「目的を達成するには、絶対に奴の能力は必要なんだ」
いつになく力のこもった声によって思わず視線を合わされる。すると、金の双眸に捕らえられた心地がした。この感覚は嫌いではない。自嘲気味に口中で呟いた後、アディスは頭をきながら溜息をついた。
「…しょうがねぇな…」
どうせ毎日暇なのだ。たまにはいいだろう。
そこにあるものをただ眺めているだけでは物足りぬ。介入してこそ、楽しみも生まれよう。
悪戯に時を過ごす期間はもう終わったのだ。
to be continued...